ちょうど一年前のこの時期、東京。
建築家のAさんと、定例のお茶タイム中に投入堂の話で盛り上がる。そろそろ山が閉じる頃なので、春に行きましょう、という適当な口約束をして解散。
その翌日、取引先のY君から、鳥取県文化観光局の方を紹介したいと連絡が入る。観光PRの催事を依頼したいとのこと。なぜか鳥取県に縁がある。鳥取がキーワードであればどんな内容でも良いということだったので、投入堂の話をしてみたところ、「それでいきましょう」とあっさりOKをいただいた。では、春になったら鳥取へ来てください、という約束を交わして解散。
春が訪れ、投入堂へ初登山の日。天候にも恵まれ、最高の登山日和だ。
まず、入山届けに記帳し、襷をもらう。靴底のチェックも行われ、検査に引っかかればその場でわらじに履き替える。
投入堂への入山は観光ではなく修行であるとされている。しかも、2年に1人の割合で転落死の事故があるということは事前に聞いていた。そうは言ってもまあ大丈夫だろうと、この時まだどこかレジャー気分があったように思う。
さぁ、準備万端、いよいよ修行の道のりの始まり。三途の川を意味する小さな川を渡ると、そこからはまさにリアル蜘蛛の糸でカンダタになった気分。いきなり急斜面を蔦の根を掴みながら登っていく。
これがかなりキツイ! 鳥取県の方に言われていた「必ず事前にトレーニングしてから来てくださいね」の言葉を思い出す。日頃の運動不足と急なペース配分。
100mダッシュを繰り返したような感じで酸欠状態に・・・。“ここでやめてしまおうか・・・”という思いが頭をよぎった矢先、下山してくるご老人の団体と遭遇。「お兄ちゃんダウンしとるね〜」という言葉と笑顔でさらに気落ちする。
気持ちと呼吸を整えて、再スタート。もう少しで休憩所だ、と自分を励ましながら進んでいくと、待っていたのは岩・・・。鎖を掴んでなんとかよじ登ると、そこには本当に美しいパノラマの絶景が!疲れも吹き飛び、童心にかえってスリル満点のお堂の縁側をぐるりと一周の根性試し。すっかりリフレッシュされ、鐘撞き堂の鐘を一発鳴らして、さらに上を目指す。
ここから先は傾斜も少なく人一人やっと通れる細い道を進む。体力的に楽しむ余裕は出て来たものの、両サイドが崖なので集中力を切らさないようにじっくりと歩いていく。進みながら、投入堂のある方向に何度も目をやってみた。その姿は、今にも見えそうでいて、見えない。この記事のキャッチコピーを「日本一危険な国宝」としたが、歩きながら思い浮かんでいたのは「日本一ドSな国宝」。とことん意地悪、どこまでもじらしまくる国宝だ。そうこうしている間に、最後の難所、観音堂に到着。狭くて暗くて細い観音堂の裏手をぐるりとまわる。ここはお母さんの産道を意味しており、通り抜けることで生まれ変わるというストーリー。
こうして、やっと、ホントにやっと、投入堂の姿が露に!
こみ上げてきたのは、なんともいえない達成感と、どうやってあそこに建てたんだろう?という疑問。本当に自然現象で出来たのではないかと思ってしまうほどの不思議さと完璧さ。人の仕業であることを思い出させるほどの引き算された美しい建築。ここまで約一時間、修行道を歩いてきた者だけが見ることができるご褒美だ。
しばらく見とれたところで、さぁ、下山。これがなんとも軽快で気持ちがいい。ふと、あぁ、だから元気だったんだな・・・と、途中すれ違ったご老人たちを思い出した。
しかし、本当に良く考えられた三徳山三佛寺・投入堂。過剰に現代人の手が施されていない、1300年前と変わらぬ修行スタイル。私達は1300年後 子孫にこんなプレゼントを残す事が出来るだろうか?
ちなみに余談だが、右の写真一番下の女の子、私がバテているのを横目にひょいひょいと、彼氏といっしょに山猿のように登っていた。しかも、その出で立ちはブラウスにおしゃれデニム+わらじという、あきらかに場違いな格好だった・・・。撮影をお願いすると、「わらじ、結構いいですよ♥」と言っていた。
三徳山三佛寺・投入堂
神と仏の宿る霊山として知られ、多くの人々の信仰を集めてきた三徳山。706年、不思議な力を駆使して空や野山を駆けめぐり、鬼神を自在にあやつったとされる偉大な修行者「役行者」が修験道の行場として開いたのが始まりとされています。修験者が法力によってお堂を岩窟に投げ入れたという言い伝えから「投入堂」と呼ばれるようになりました。
〒682-0132 鳥取県東伯郡三朝町三徳1010
http://www.mitokusan.jp/