広島に初めて誕生した外資系ホテル、シェラトンに行った時のこと。新しいホテルの窓から外を眺め、ふと足下に目をやると、昭和というよりも戦後の雰囲気が残るエリアが広がっていた。路面電車で広島駅から一つ目の猿猴橋町の停留所周辺。古い雑居ビルが密集したこのエリアは、10年以上前から再開発の話が出ては頓挫を繰り返している。開発が宙ぶらりんのままシャッター街化してしまい政令指定都市の玄関口のイメージとはほど遠い。まるで、ちょっとしたゴーストタウンのようなこの場所の一角に、奇跡といってもいいような店、純喫茶パールがある。昭和32年、開業と同時に建てられたという今のビルは、3階建に大きな窓、螺旋階段と豪奢で、当時はかなりモダンな建物だったのではないかと思う。外観のとおりお洒落な喫茶店として開業したパール。いつも人でにぎわい、広島カープが初優勝した時はスポーツカフェのように、ジュークボックスやインベーダーゲームがブームになれば2階は学生のたまり場に。そして今では週末になると、全国からこの貴重な純喫茶を体感しようと人々が訪れる。でも、それらはあくまで時代のムーブメント。パールのもう一つの顔は日常にある。
オープンは朝の6時。ポツリポツリとお客さんが現れ、おそらく定番であろう席に座り、新聞片手にコーヒーを飲むその姿は、かなりの年季を感じる。中には、会社員時代から、定年してもなお日課のように通う人もいるそうだ。同じく再開発の決まっている近くの愛友市場で一仕事終えた人の姿も。 そして、9時をまわる頃になると再び客足が増えてくる。近くのパチンコ店のオープン待ちの人々だ。週末も忙しいんですか、とお店の人に聞いてみると「うん、あのねぇ、お馬さん」という意表をついた答えが返ってきた。「ここでお勉強されるんよ」と聞いて納得。近くに場外馬券売場がある。パチンコに競馬、ここは、一攫千金を狙うギャンブラーたちのオープンデスクにもなるらしい。
取材をしていて、ふと疑問に感じたことがある。再開発もいよいよ本格的に動き出すようだし、つくりも古いままのこのお店。時代に取り残されているはずなのに、今もなおさまざまなジャンルの新しいお客さんが生まれている。ここを取り壊して、新しい物をつくることは本当にいいことなんだろうか? ありきたりの商業ビルはつくれても、パールと同じ店を今からつくることは不可能だ。ここには埋めることのできない時間と個性が確実に存在するのだから。
写真/パリッとしておいしく、懐かしいロールサンドのセットを猿山食器にもりつけてもらった。圧倒されそうなこの空間で、猿山食器が互角の勝負を挑んでいた。 純喫茶パール/CLOSED